5/9のまちの保健室(マチホのスゴイところ)

自助グループとは、同じ問題を抱える者どうしが集まって意見を交換し、互いに援助しあう集団と辞書に出ています。(大辞林)

 

まちの保健室は、問題を抱える者どうしが集まって意見交換し、互いに感想をシェア(共有)する集まりと、辞書には出ていませんが、このような解釈ができると思います。

 

決定的にまちの保健室が自助グループと違うのは、抱えている問題がみなさんひとりひとり違っていて、決して同じではないことです。

 

仮に職場の問題という共通点があっても、それは組織の問題だったり、体質や風土の問題だったり、人間関係や給与面だったり、悩みの種類は人によってそれぞれに違ってきます。

 

今日のまちの保健室も、自助グループにはない醍醐味だなぁ…と感じた場面が多々ありました。

 

例えば、責任感を感じられない上司に困っている悩みに対して、様々な考え方や方法論が感想として出てきました。

 

どうして、まちの保健室ではたくさんの考え方や方法論がでてくるのかと言うと、これはみなさんにフィルター(制限)がかかってないことが挙げられます。

 

フィルターがかからない理由として、まちの保健室の3つのルールがそれを可能にしているのです。(3つのルールを知りたい人は、HPのトップページをご覧くださいね!)

 

そのため、自分の経験値での自由な発言ができる環境ができているので、たくさんの知恵が集まるのです。

 

実は、これはアレックス・オズボーンが考案した「ブレーンストーミング法」と同じ原理なのです。

 

固定観念にとらわれずにたくさんのアイデアを出すことがブレインストーミングの目的です。

 

たくさん出たアイデア(考え方や方法論)は、悩みを打ち明けた方へのプレゼントになります。

 

あとは、どれを選択するかです。選択肢が多ければ多いほど、色々と試せますね!

 

自助グループは、同じ当事者から情報を得る情報源としては、どんどん活用すると良いと思います。

 

その反面、井の中の蛙になりがちで、第三者の目がないと、「気づき」が生まれにくいと感じます。

 

気づくとは、それまで気にとめていなかったところに注意が向いて、物事の存在や状態を知ると辞書に出ています(大辞林)

 

この気にとめていなかったところというのが、フィルターのかかっていない第三者には、よく見えるものなのです。

 

だから、仲良しグループでいるのも良いですが、様々な経験を積んでこられた方々と時間を共有することが、一番気づきが多くなるのではないかと、私は感じます。

 

そして、人の数だけ答えがあって良いと思うのです。

 

みなさんの悩みの共通点を敢えて言うならば、「答えのない問いに向き合っている!」ということです。

 

その問題や悩みから逃げないで、向き合っていると言うことです。

 

これは、とても素晴らしいことです。

 

人の話を聴くのにも自分が元気でいないと…と思われるかも知れませんが、そのご心配も無用です。

 

まちの保健室のルール、1番目は何でしたっけ?(笑)

 

ぜひ、日常生活の中の自分ルールに、まちの保健室のルールで過ごす時間を少し使って過ごしてみると、意外と発散できるかも知れませんよ~(*^_^*)

 

マチホのスゴイところとは、みなさんが「答えのない問いに向き合きあう」時間を作り、学び合い、気づき合うところだと思います。

 

フレー、フレー、みーんーなぁ~♪♪♪