3/22のまちの保健室(美千と吉/由緒ある姫君たちへ)

 未知(ミチ)な世界は「なんだか不安」かも知れませんが、それが既知(キチ)な世界になると「あたりまえ」になってしまうものです。


 スマホ操作は私にはムリ!という思い込みをつくることで、スマホ世界を未知にしてしまいます。スマホ世界が既知になると、ラインも出来るしブログも読めるなど、今までより世界が広がり、いつしかスマホ操作が苦にならなくなります。そうです、限界(枠組み)を作っているのは環境ではなく、自分自身なのです。

 

 人は、未知だったことを思い出すことは、あまり無いと思います。既に「あたりまえ」になっているからです。


 「あたりまえ」(有って当然)の反対語は「ありがとう」(有ることが難しい)です。だから私は、未知の時の気持ちは不安(難)もたくさん有るけど、これから知ることで、喜びをもたらす現象と捉えることにしています。


 人生には、たくさんの未知と遭遇します。そのような時は、「ありがとう」という感謝の気持ちを持つことで、その未知が既知になり喜びを運んできてくれるものだと信じています。

 

 来月、未知の世界を不安な気持ちでいっぱいなまま、人生時間を過ごすまちの保健室のお仲間が数名いらっしゃいます。まちの保健室の参加者は、みなさん心が温かい方ばかりです。たくさんの応援コメントが集まっていました。私は、「究極のゴールというのは、たどりつくためにあるのではなく 前進しつづけるためにある!」と応援コメントを書きました。まちの保健室にご参加いただけるみなさんは、本当に前進しつづけていらっしゃいます。素晴らしいことです。

 

 世阿弥(ぜあみ)が書いた『花鏡(かきょう)』という伝書に「初心忘るべからず」という言葉を書き残しています。「初心」とは、未知への「不安」と「期待」、そして前へ進もうとする「覚悟」と「決意」のすべてなのかも知れません。出逢ったころの恋心、内定をもらった時の喜び、学ぼうと思った切っ掛け、など常に初心という宝物があるんですね。その宝物が「あたりまえ」になると初心のことをつい忘れて、暴言を吐いてしまったり、人のせいにしたり、かんしゃくを起こしてしまうものです。

 

 「今日を以て、ノーベル賞は過去のモノです。また研究者として初心を忘れず、精進していきます」
これは、京都大学でIPS細胞の研究をされているノーベル賞受賞者山中教授の言葉です。人生において、成幸者と皆から思われる方は、きっと「初心」を大切にしているのだろうと思います。


 「まちの保健室」をスタートした時は未知でした。そして‘初心’を、改めて思い出させてもらえた今日のまちの保健室でした。みなさん、本当にありがとうございます。感謝です!

 

 このブログを通して、みなさんを代表しての未知へ向かうお仲間へのメッセージです。

いってらっしゃい。
「応援しています!」

そして、みなさんが待っている「まちの保健室」に帰ってきてくださいね♪

 

次回は、4月12日(水)10時です。お待ちしております!