子どもが失敗しないように、子どもが「正解」へ近道できるように、親はつい手や口を出してしまいがちです。しかし、それは子ども自身で考えて乗り越えられる可能性を奪う行為かもしれません。子どもが自らの力を発揮できる環境を用意して、子どもを信じて「見守る」親になれることが理想ですよね。でも、現実は、そううまくはいかなくて、親子で顔を会わせるたびにバトル…。
『あなたをきちんと導きたいVSいちいちうるさいな!』
キーワードは、親の「正解」への価値感なのかも知れません。
「見守る」ことを家庭で実践することによって、親子に生まれるメリットは、親子の間に程よい距離感が生まれます。『ああしなさい、こうしなさい』『これはやっちゃダメよ』とあまりに過干渉過ぎると、すべて親の指示通りにしか動けない子に育ってしまう可能性があります。親はそれを見て『うちの子はできている』と勘違いしがちなんです^_^;
親の「正解」=「勘違い」と言う事です。子どもが小さい時は親のコントロール下にあるのですが、思春期に入ると子どもにも意思やプライドが出てきます。もちろん、親にも人生を子どもより長く生きてきたプライドがあり、これまでの親の子どもへの接し方が、思春期を迎えるころにバトルの火種になる実例も良く聞きます。親は皆子どもへの期待はあるでしょうし、子どもも親のことを憎んで生まれてきた訳ではありません。ボタンの掛け違いは、親の「正解」への価値感であったとしたら、親が「納得」することを受け入れた時に、また新しい親子関係が生まれてくるものだと、私は思っています。そして、親も子も、どんな人と「ご縁」を持つか!でも、人生が変わってくることがあります。
今日のまちの保健室は、『見守る』がキーワードで、少しスピリチアルなこともお話した2時間でした!参加いただききましたみなさん、ありがとうございました。スピリチアル話だけの2時間も楽しいかも知れないとも、思いました(^^)
次回は、今年最後になります。最後なので、みなさんお声掛けして、最後を締めくくりましょうね!
12/18(金)10時から、お待ちしております☆
コメントをお書きください