6/25のまちの保健室(小利口になるな)

「無知の知」(I know that I know nothing.)は、哲学者ソクラテスの言葉です。

 

これは自分が無知であるということを知っているという時点で、相手より優れていると考えることです。


私は「人生」を、「予行練習がない一発本番の舞台を演じているようなもの」と例えますが、日々どんなことが起こるかわからないという意識を持っていれば、ハプニングも受け入れることができるのではないかと思います。

 

ここでのハプニングとは、良い出来事とも悪い出来事もですが、大概のみなさんは悪い事へのハプニングに意識が行くので、

 

「どうして私だけこうなるの?」
「まさかこんなことになるとは?」
「みんなは普通に生きれてていいな」

 

このような感情になるのではないかと思います。

 

何か問題を抱えた時、そこから抜け出す方法を必死に模索しますが、その際に出てくる思考は自分自身の価値観だったり固定観念だったりするものです。


自分自身が積み上げてきたルールの中から答えを導き出そうとするので、実はあまり名案や秘策が生まれないのです。


そう、自分は「わかっている」という意識がそうさせるのです。

 

自分が「無知である」という意識があれば、悪いハプニングが起きた際に関係する情報を収集すれば良いと思うのです。


情報収集する際に大切なことは、「素直さ」を忘れないことです。


情報を入手しても自分ルールで解釈してしまうと、情報が役に立たなくなる可能があります。

 

そうならない為にも、思考を柔らかくする訓練をしておくことをお勧めします。

 

同じ出来事を、どう感じ取るか、先の例をこのように変換できると良いかも知れません。

 

「どうして私だけこうなるの?」 → 「私だけの特典!」
「まさかこんなことになるとは?」 → 「これは何か意味があるはずだ!」
「みんなは普通に生きれてていいな」 → 「色々起こる楽しい人生だ!」

 

いかがでしょうか?


自分の意識に「無知の知」を教え込んでおくことで、ハプニングを乗り越えるヒントが見つかるかも知れません。


バカと天才は紙一重と言いますが、一番なってはいけないのは「小利口」。

 

「小利口」は、自分が無知であることに気付いていないので、一番厄介です。

 

「小利口」な人ほど宿題を抱えると、バタバタしているように感じてしまうのは、私だけかな…?

 

みなさんは、「小利口」にならないように、まちの保健室で生涯学習していきましょうね!

 

さて、今日のまちの保健室では、「ひきこもり」を変換してみました。

「ひきこもり」がどのような変換用語になったのかは、、、、。
当日の参加者にお聞き下さいね!


そうそう、今日は、3名も新しく参加してくれたお仲間がいました。
また、遊びに来て下さいね!