7/11のまちの保健室(そこに‘愛’は入っていますか?)

友達とか、外の人には優しく振る舞えるのに、身内にはなぜか厳しい態度を取ってしまう。
こんな話題が今日のまちの保健室で出ました。


ほとんどの方に、心当たりがあるのではないでしょうか?私も、当然そのような気持ちになることがあります。

 

「他人」は「自分」ではないです。
しかし「身内」はもしかしたら「自分」のような存在や気持ちで接してはいないでしょうか?

 

例えば運動会で「他人」の子どもを応援する力と、「自分」の子どもの応援する力は、どちらが強いでしょうか?もちろん、親としてみれば「自分」の子どもですよね!

 

例えば「ママ友」の夫が出世したことを聞くと、表向きは喜びますが、内面では自分の夫のダメ出しをしてしまいそうになりませんか?


どちらの例も、身内に対する期待値が高く、「自分」の理想に近づいてもらえるようにと、厳しい対応をしてしまうのです。

 

この厳しい対応の表れは、「自分に厳しい」観念を持っていると、他人にもその厳しさを押し付ける傾向があります。

 

ただし、「他人」に優しくできる場合、そのストレスが反動となり「身内」に発散していることが考えられます。これでは、「身内」の人が大迷惑ですね。


このような人は、外面のイイ人です。且つ、他人の目をとても気にします。

 

同じ「自分に厳しい」人でも、もうひとつのタイプがあります。

 

それは、相手の成長を促すためのアドバイスや行為としての、厳しさになります。

 

この厳しさにその人に対する‘期待’が入っているのです。

 

もう少しわかりやすく言うならば、「教育的な厳しさ」と表現すれば良いかも知れません。

 

いかがでしょうか?

 

厳しさには2つのタイプがあるのです。

 

「教育的な厳しさ」には、期待と一緒に‘愛’も入っているのだと、私は思っています。

 

「身内」に厳しくする時は、「ストレス発散」ではなく、「愛と教育の厳しさ」で接したいものですね。


「身内」に厳しく当たろうとしてしまう時、どちらの‘厳しさ’かな?と一呼吸置くと、家庭内の空気を乱さずに済むかもしれませんね!

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コメント: 2
  • #1

    よこちん (木曜日, 12 7月 2018 13:23)

    今回も考えさせられるいいお話のようで、仕事で参加できなくて残念でした。

    愛のある厳しさは相手も受け入れてくれると思っています。

    いいお話、ありがとうございました。

  • #2

    こころをつなぐ平塚 (木曜日, 12 7月 2018 22:12)

    よこちんさんへ

    コメント、ありがとうございました。

    まちの保健室に参加できないみなさんには、こうしてブログで当日の雰囲気を味わっていただければと思っております。

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